ジャニーズとはてなとわたし

今更だが、ジャニヲタはてなブログがアツい。わたしもTwitterで見かけてはそれはもう熱心に読み漁っている。

 
その昔、ごくせん2を見てジャニーズに興味をもった。紆余曲折ありながらも、永遠の新規のわたしは立派にジャニヲタ10年選手だ。「ごく出」はほんとうに当時の一大ブームで月曜日、教室のドアをあけた瞬間から始まる隼人派?竜派?トークから、みんな散り散りとジャニーズの沼へ潜り込んでいった。
 
わたしといえば、いま思い出してもよく分からないが、裏ジャニのコンビニ100人隊→大阪レイニーブルースのMステ→Excite!!という段階を経て大倉忠義くんを1番に定めた。外からみればまぎれもなく長いことeighterの大倉担だったが、結局大倉くんが1番であったときに担当と呼んだことはなく、eighterにもなれなかったのは多感な自意識とはてなダイアリーの影響が強いと思う。
 
当時のわたしは海を越えた地方都市のさえない中学生であった。ジャニーズのこととなると途端に声が大きくなる、わりと何処にでもいるようなはた迷惑なジャニヲタだった。そのころの関ジャニ∞は8人で、はじめての大阪城ホールを控えてたり、(中略)FTONツアーでやっと東名阪を回ったりしていた。まあとにもかくにもいろいろあったが、それを自分の目で確かめることはイチ地方の中学生には不可能だった。そんなわたしの情報源はすべてはてなダイアリーだった。
 
松竹座時代から、エイトをずっと応援しつづけている先達の方々。冷静な目で詳細にかかれた熱い記事は、まだまだ扱いの悪かったテレビと雑誌でしか見ることできないエイトをこれでもかというくらい魅力的にうつしていて、それはもう夢中で関ジャニ∞のキーワードの記事を片っ端から読み漁った。
 
偏った印象だが、当時のはてなダイアラーはあまり自担という言葉を使っていなかったように思う。グループとしての関ジャニ∞の大成が第一で、そのなかで見つけた自分の特別好きなひとのすてきなところを淡々と綴る。いろいろなことが起こって、自分の気持ちが不安定になったときはお気に入りのダイアリーをいくつも何度でも繰り返し読んだ。そこにいつも求めている答えがあるような気がしていた。
 
はてなダイアリーはまさしくわたしの憧れの場所だった。きたえーる以外の場所でエイトを観て、正しく冷静な感想をもてたとき、はじめてはてなで文章を書くジャニヲタになれるのだと自分に制限をつけていた。そうやって、それから。具体的な時をあげるなら「8→1」がなくなったあたり。毎日のようにエイトの記事をあげる大好きなダイアリーの数が少しずつ減ってきていた。いつか8人に、在るべき形に戻るのだと信じていた気持ちが消えかけてしまっていたとき、1番エイトのファンとして(勝手に)尊敬していた方が、ダイアリーの移転と、エイトの記事を書くことの終了を宣言した。
 
自分の受験や部活や日常生活に追われていたこともあり、ゆるやかに離れていたジャニーズへの気持ちがぷつんと切れたのが分かった。エイトを好きなひとが語るエイトが好きだった。はてなダイアリーで知るエイトの姿がわたしだけの正解だった。
 
まあ、結局いろいろあっても完全にヲタ卒はできず、社会人になってまでこうしてジャニヲタをこじらせてる訳だが、はてなは永遠にわたしの憧れの場所なのだ。
 
はてなブログがジャニヲタ内でメジャーなコンテンツとなっている今日この頃に、いまさら何を書けるのかと思う。かわいいあのこを語りたいとき、どうしてもわたしの気持ちが乗っかってきてしまうのだ。人の感想に自分の理想を重ねることもなくなった。応援しているあのこの幸せを願うけど、いまではもうジャニーズは日々の生活を豊かにしてくれる、都合のいい精神的支柱としての割合が強い。
 
はてなは正しく好きなジャニーズをより好きになれる場所だった。大人になって、東京に出てきて色んな現場をみてきた今でも、あのときのダイアラーのような文章はきっと一生書けない。でも、もうそれでいいんだと思った。だれかの目にとまりたい訳ではない、ちょっとした自己顕示欲のはきだめだ。
 
大好きな憧れのはてなで、とうとう文章を書くよ、という決意と言い訳の記事でした。これからはジャニーズに絡めたり絡めなかったりするどうでも良い話をします。